「申し訳ありません。」 「いやな、別に怒ってる訳じゃなくて「怒るに決まってんだろ、テメェ何してるか解ってんだろうな。」 土方の部屋の手前に来ればそんな声も勝手に耳が拾う。 土方の押し殺し切れない怒声が近藤さんの困ったような鼻声を掻き消しても、さんはまた謝罪を口にするだけだった。 思った通りこの人は約束を守ろうとしている。 「医者がオメーを褒め千切ってやがったぜ、対処が早かったって。」 「そうですか。」 「だが呼吸困難の原因は検査しねぇと医者にも分からないなんざおかしい話だろ。 勿論多少の知識があんのは知ってるがテメェは医学者じゃあなかった筈だ、本職の人間より精通してる訳がねぇ。」 「そうでしょうね。」 「………注射器まで用意できるなら原因も知ってるな。」 「知りません。」 こんなところで足を止めている場合ではないのに酸素が足りない。 重い身体を壁に押し付け必死に息をしても苦しくて仕方がない。 あの人にもういいのだと、たったそれだけ言えればいいのにまだ足が動かない。 彼女が俺のことを隠していると近藤さん達が知った時点で嘘は嘘でなくただの拒絶である。 ソレを繰り返すさんの声が毅然としていたのは嘘を付き通さなければならない重責がないからかもしれない。 イコール、あの人が今よりもっと傷付く。 土方のライターが鳴った。 「ぶっ倒れたのが此処じゃなかったらどう落とし前つける気だったんだ、あぁ?」 「すみませんでした。」 「ッ!」 「やめろ、怒鳴るなトシ」 ああ、やっと足が動くようになった。 薬を飲まないと勾配どころか平地でも息切れが激しい。 だからもういい、アンタの犠牲の上で俺が此処に僅かの間留まったって何ひとつ意味はない。 無意味だ。 あんな失態さえなければ俺はこのまま誤魔化すことをアンタに強いただろうけれど、現場を目撃されたからには流石に全員の目を欺くのは不可能だった。 「 3人して同じ面で固まった。 座卓にはあの時の注射器がぽつんと乗っかっている。 「この人は悪くねーんでさァ。」 「………知っていたなら話す義務がある。 例えお前が口止めしたとしてもな。」 「口止めねぇ……違う、俺はこの人に脅しをかけたんですぜ。」 いち早く我に帰った土方の言葉もムカつくが尤もだった。 もし敵前で気を飛ばすなんてことがあれば、最悪陣形を崩されるし士気に大いに関わるし碌な事がない、それは上に立つ土方にとってあってはならないことだ。 俺の本格的な体調不良を知れば今日だって決して前線には立たせなかったと断言できる(何度も言うがコイツは姉上の二の舞を恐れている)。 しかし土方の言うように彼女が正直に話せば、俺が最も恐れた刀の喪失は避けられないとさんは理解していた。 その上で俺は脅しより強い束縛をかけた。 言ったら殺すと脅さなかったのは無意識に、この人相手ではその手の脅しが逆効果だろうと計算したのかもしれない。 懇願は彼女にとって一番の苦痛だと感じ取った俺はそれを利用した。 俺からの指切りは懇願の色をした立派な脅迫だったのだ。 「総悟、お前は戻ってろ。 ったく山崎の奴何してやがんだ。」 「言われなくても、戻りまさァ。 さん、」 「!」 「オイ!」 細い腕を掴んで立ち上がらせれば随分と軽かった。 勢いに引き摺られるまま立ち上がったさんは呆然と俺に引っ張られたが、当然彼女が下がるのを許す訳もなく咄嗟に腰を上げた土方が横から俺の手ごとさんの腕を掴む。 山崎の足音が遠くから聞こえた。 監察のくせに煩い足音を響かせてどうやら走ってきている。 「放せ。」 「こんだけの会話でぜーぜーいってるお前に話は聞けねぇ。」 「いいから放せよ。」 「総悟」 山崎め遅い。 もう少し早く来い。 土方の腕を叩き落とし彼女を後ろに庇ってしまえば、その表情を見なくて済んだ。 代わりに向き合った土方の見開かれた目と近藤さんの困惑した顔を見なくてはいけなくなったが、まだ我慢できる方だ。 なんとか空気を取り込みながら途切れ途切れに言葉を紡ぐ。 「俺が、刀を放すのは、此処から離れんのは、嫌だっつって脅したんでさァ。」 「………。」 「話す義務は、本来俺にあるんでねィ……だからこれ以上、この人を傷付けんな。」 「総悟、」 「いくらアンタらでもこの人を責めんのは許さねェ!」 鈍いアンタらは俺の所為であるさんの変化に気付きはしなかった。 アンタらだけでなく大概の隊士はやれ恋人だのやれ年齢詐称だの揶揄するだけで、綺麗に化粧をするようになった彼女を必要以上に気に掛けることはなかった。 それが悪いと言いたいのではない、ただ。 「この人は、悪く、ねえんだよ」 バタバタ駆けてくる山崎が漸く茶封筒を持って来た。 土方へ渡された封筒には診断書も治療計画もその他諸々突っ込んである。 その瞬間、後ろに庇っていたさんが腰を抜かして冷たい縁側にへたり込むのがわかり近藤さんがギョッとして彼女の名前を呼んだ。 振り返ればさんは愕然として土方の手に渡った大判の封筒を見詰めている。 その様に苦笑して俺はのろのろしゃがみ込んだ。 山崎だけでなく俺も少しばかり遅かったらしい。 「さん、指切りはなかったことに、しやしょう。」 「お、沖田隊長」 「もう、イイんでさァ。」 眉尻を下げ目を瞠り、この人は意味を理解するのにしばらくかかったようだった。 この所気を張り続けていたおかげか、ばちんと崩れてしまえばみるみる内に涙が落っこちる。 そのまんま肘が砕けて、再度固まった近藤さんと土方、そして山崎と俺の目の前で小さな身体が敷居にごつりと額をつけ平伏した。 嗚咽に混じる言い様のない哀しい謝辞に場が凍り付き、俺はそっと目を閉じる。 瞼の裏で、もう1人の俺が俺を責め立てた。 「申し訳、ありませ、、もう、しわけ、っありません……!」 (指切りをなかったことにしようが、病が皆にバレようが、この人は) 疲弊と腐敗を知る 20090901 |