彼女は変わっていた。自分の知る限り此処には粗野で野蛮な隊士が多かったし、またその影響なのか雇った数少ない女中も女性にしては気骨のある性質ではなかろうかと思う。読書中足音を落とすなんてことはせず問答無用で用件を伝えに来たり、書き物をしていてもすぐ横で箪笥の上を叩きで勢いよく払ったり出来るのには閉口する。上が上なのである意味仕方がないのかもしれないと、最近では諦めるようにしている。彼女が変わっていた、そう認識するのは寧ろこの妙な集団の中に普通の人間がいる違和感の為なのかもしれない。今も一段落着いて筆具を置き縁側に出てみれば、先刻また改めて来ますねと言った彼女がお疲れ様ですと歩いて来るところだった。彼女の図った様なタイミングは自分を大いに驚かせる。 出された茶を受け取って他もこうだったら幾分か快適だろうにと溜息を吐けば彼女は苦笑を零した。 「皆さんがいると気が紛れたりしませんか?」 「僕は元々馬鹿騒ぎを好む人種じゃないからね。」 いつもより温い茶を口に含めば珍しく玉露だ。普段刈番なのにこれはどうしたことだ、聞けば彼女が買って態々屯所に持って来て淹れたらしい。 「この間借りた本のお礼です。」 トルストイは難し過ぎると恥ずかしげに笑った彼女はやはり変わっている。 粗野で野蛮、とはいえ少なからず例外もいる。彼女然り、病床に伏せる沖田総悟然り。沖田は土方とは違った意味で策略家だったが、もう1つ相違点を挙げるなら敢えて人の心情を読んでいない風に見せかけるところだ。その名の通り、総てを悟ってしまえる彼が一般の感性の持ち主だったならばこんな場所に燻っていないで結構な青年実業家にでもなれたかもしれない。周りから一線を引いた彼らが寄り添うのも当たり前なのだろう。そうしてこの所頗る病状が悪化した彼に付きっきりでいる彼女が特に時間を割いて自分の部屋に来たのにも当たり前に理由がある。 「それで、僕に何を言いに来たのかな。」 彼女はさして驚いた風でもなく、背筋を伸ばして此方を向いた。向かい合って数瞬の後意を決した風にはっきりと言葉を紡ぐ。 「沖田隊長の薬代に関してお願いに来ました。」 そんなところだろうと思った。 病状が悪化し戦線から身を引いて、にも拘らず沖田は薬を服用しなければ生命を維持できない。先日受けた手術の莫大な費用に加え、高い薬を飲み続けるのにはそれなりの金が必要だろうし、最近では服用する薬が増えている。大方沖田個人で費用を捻出したはいいが先を見越した彼女が(当然生存する前提での先見だと思うが)将来足りなくなるであろう治療代の為に資金繰りをし始めたのだ。しかし態々自分に頼みに来ずとも近藤や土方にその旨を伝えれば簡単に用意できる筈なのに、僕の彼女に対する心象を悪くしようとしてまで直談する意図が図れない。 その僅かな混乱と同じく外で隊士が喚く声がした。気になるのか彼女が一瞬視線を障子に走らせたものの、それから少し俯いて図々しいのは承知しております、と呟く。伏せた睫毛が目元に暗い影を落とした。 「心配しなくても僕は君がご機嫌取りに茶を淹れるような無駄を嫌う人間だと知っているよ。けれど局長や土方君から逃れようとするその意味は解りかねる。」 「あの方達には薬が増えたことに関して何もお話ししていません。知っているのは伊藤先生と山崎さん位です。」 「………成程。」 どうやら沖田本人が口止めしているらしい(僕は言う気もないが言わない気もない、聞かれれば正直に答えるだろう)。薬の所為で新しい薬を飲まざるを得ない悪循環を断ち切る術を知らないのだから仕方がないとも言えるが、そういう妙な思いやりはあまり理解に入れたくない感情だ。さっきより温くなった少しの苦渋味を舌に乗せながら先を促すと、彼女は慎重に言を選び再び話し始める。 「私の方で算段はしますが少し時間がかかります。それまで僅かでも構いません、沖田隊長に回しては戴けませんか。」 「!」 まさか、そこまで突っ込んで来るとは思わなかった。つまり彼女は予備費を流用してくれと頼みにきたのだ。 切羽詰まっているのだろうと漠然と感じる。この分じゃ以前から他に貸し付けを受けているのかもしれないと驚きながら問えば、無担保で貸してくれる所は少ないのだと返ってきていよいよ頭を抱えた。 そこまでするのなら多少沖田の感情を犠牲にしても近藤に伝えればいい。どうせあの男のことだから喜んで全財産を差し出すに違いない。ましてこの先病状が悪化すれば問答無用で入院だ、端金と引き換えに自滅するなんて心底おかしい。 彼女は何も言わないことが最善だと思い込んでいるのだろうか。らしくない。 「どうしても局長には言わないつもりかい?」 すると今まで伏せていた顔をゆるりと上げて彼女はまっすぐ此方を向いた。そして、沖田隊長はもう長くないのだ、ときっぱり言い切ってしまった。 「やめたまえ。医療に携わっていた君の言うべき言葉じゃない。」 「だからこそ解ります。今の医学に隊長の病を治す技術は有りません。」 「ならば、何故?」 毅然とした顔立ちに表情はなかった。完璧だった。 「生き長らえる期待を周囲が下手に持つことは沖田隊長を苦しめます。」 薬が増えることは一般に悪化を意味するが、裏を返せばまだ治る見込みがあるということだと思っていた。が、彼女の言い分では真逆だ。それを裏付けする彼女の声は相も変わらず静かだった。 「長くてあと3ヶかもしれません。それまでせめて少しでも楽に息ができるようにする為だけの薬です。」 「………。」 「伊藤先生があの方達をよく思っていないことは解ります、ですから私は1人で此処に来ました。お金は必ず揃えます、だからどうか、それまで。」 三つ指ついて頭を垂れた彼女を見下ろしながら、何をしているのか未だドタバタ騒がしい外の喧騒を耳が拾う。土方の怒号、隊士の悲鳴、何も知らないことは大層気楽だ。自分が彼らを好かないことも、彼女がひた隠す現状も。けれど隠す此方が悪いのだから致し方ない。そして沖田の病を彼の望み通り隠し切れなかった(露見したのが彼女の所為ではないにしても)彼女は今度こそと覚悟を決めているらしい。 今度こそ、己一人が抱えると。 沖田は口止めなどしていない、むしろ彼は隠し立てされている方だ。それが理解し得ない感情だから羨ましいと思うのだろうか。過った羨望に我ながらどうかしていると溜息でそれを相殺し、湯呑の中身を飲み干した。 「結論から言えば沖田君の為に使う金は資金計画に入っていないし、予備費は既に他に充てられてしまっているから無理だ。けれど、」 「?」 「僕個人が君に便宜を図るという手段でよければ、ある程度用意できないこともない。」 静かに閉められた障子を見詰めつつ思案を巡らせる。外では爆音が響いているからあの病人が起き出したのだろう。昼過ぎとは言え起き上がれるのなら体調はいい方なのかもしれない。 “僅かでも構いません、沖田隊長に回しては戴けませんか。” 彼女は変わっていた。不祥事に繋がりかねない流用を懇願したその時は、慕い慕われる関係にありながらその終わりを客観視出来る人間の恐ろしさを垣間見た瞬間だった。一方で、己の中で言い訳できない感情故に、今まで少なからず好ましく思っていた彼女を初めて嫌悪した瞬間でもあった。僕は頭の何処かで彼への羨望を認めてしまっている。 秘計 20100510 |